2019年07月29日

「ふおん脳内サミット」ふおんの就活記12

この週末(27、28日)は石川、富山で相次いで吹奏楽コンクールが開催されていたが、ついぞ行かずに一室で終えてしまった。芸術で、視覚と聴覚、そして肌を通して心と脳をリフレッシュするまたとない機会であったが、行かずじまいに終わる。今となっては非常にもったいないことをした。

外部刺激も得ないで、薄暗い自室で何をしていればと言うと、就活の振り返りである。3月の解禁をスタートとみなせば、はや5ヶ月も経とうとしているわけではあるのだが、悲しいかな未だに内定はゼロである。今日もお祈り通知の書類が届く。お祈りの場合は、履歴書・その他の書類も全て返送されるので、中身を見なくても封筒のサイズで一目瞭然であり、便利である。閑話休題。
私個人の人格に問題があるのは、確かだろうとは思うものの、25年間かけて形成されてきた人格は今更変えようがない。人格面以外での可能性について考えることにした。


1.留年忌避説
3留しているという点が問題だというもの。
書類選考も最初のうちは半分ないしは3分の2程度しか通っていなかったが、ここ最近(6月以降)は落とされていないので、少なくとも書類選考の時点においてはさして問題になっていない。面接で理由を聞かれても、聞かれなくても平等に落とされているので、「留年していること」自体は禁忌と言えるほどのマイナスにはなっていないのだろう。

2.学力不足説
筆記試験の点数が足りていないというもの。
この可能性は少なからずあると感じる。数学のサインコサインが全く出来ていない、英語が致命的にできない、理科も忘れている、など思い当たる節がいくつもある。今日届いたお祈り通知は、試験+書類での通知であったので、学力不足説を一部裏付ける結果であろう。
ただ、ここ数回のお祈り通知は、筆記試験単体での通知が少なく、筆記+面接での通知が多いため、筆記が問題なのか、それとも面接が問題なのか、完全には分からない。

3.免許不所持説
普通自動車免許を持っていないからだというもの。
商社の会社説明会の際に、受験自体は可能であるものの、普通自動車免許は必須であると言われた。免許を持ってないことは、一部の業種ではマイナスなっていると思われる。これについては限定的に影響ありか。

4.意欲がない説
私の意欲が面接官に伝わってない、出ていないというもの。
面接時における、私からにじみ出る気だるさと負のオーラ、そして声の小ささ(出しているつもりではあるのだが)により、就業する意欲を感じられず落とされている、というのは大いにある。というかこれが最大の原因のように思える。
留年忌避説において、「『留年していること』自体は禁忌と言えるほどのマイナスにはなっていない」としたが、「留年を経験したこと」による個人の影響は計り知れないものがあり、最大の問題は自分に対する自信がほぼ無くなっている。立ち直る過程で得たはずの自信や経験も、所詮は張子の虎、ハリボテであり、こうもお祈りが続くと耐えきれずに崩れ去ってしまう。

先日の就活記11の記事に書いたことと重複するのかもしれないが、普通の人は自信により「就活生」を演じられるのであるが、残念ながら今の私には「就活生」を演じられる、正解かどうかもわからない虚像を支えられるだけの自信は存在せず、結果、演じる事ができずに落とされている、のだと思う。


じゃあ、その失った自信をどこから調達するのだ、といえばそんな都合よく切り売りしている店はなく、自分で回復するしか手段がない。崩れ去ったハリボテの自信を、砂上の楼閣を、その度に再建しなければならぬ。そんな時間と精神力は残っているのだろうか。



総じて私の限界が見えた週末であった。



・現在の選考状況(7/29 04:45(JST/UTC+0900)現在)
履歴書・ES提出数 17
選考中 1
書類お祈り 5
1次試験・面接お祈り 10
最終選考お祈り 1



■追伸

頭だけで考えているから良くない。考え出した結論は実践してください。
posted by ふおん at 04:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2019年07月27日

「終わるまでは終わらないよ」ふおんの就活記その11。

就活は終わるまでは終わらないよ。
Weblogが書けるようになるまで回復したので、書いていなかった5月末から今日までの就活状況について記す。

5月の最終面接まで行った企業は案の定駄目だった。面接の感触から分かりきってはいたが、お祈り通知を見た時の落ち込みが酷く、高3の卒業式を控えた2月に意中の方に告白して振られた後のように、無気力感と無能感でいっぱいになり、しばらく就活含めて生活の全てに実が入らない時期が続いた。

6月。少し立ち直り、残弾が尽きていたので、会社訪問を再開する。この頃はまだ余裕があり、流石に7月はいる前後には終わるだろう、との楽観論すら残っていた。4社受け筆記と書類はパスするも面接が尽く通らない。これだけ通らないのは私個人の人格に問題があるのでは、と悲観的になり心が折れる。どうにかなるだろうという考えは、どうにもならないという現状に押しつぶされた。

7月、再再起し、企業訪問と試験、面接に明け暮れる日々が続く…
やり方が不味いと感じ、業種、職種、規模を広げる。また、従来マイナビとリクナビしか使っていなかったが、リクナビダイレクトとエージェントも利用し始める。今の所恩恵はそこまで感じない。
流石に指導教員もマズいと感じているのか面談を持ちかけられる。


・現在の選考状況(7/27 02:15 JST(UTC+0900)現在)
履歴書・ES提出数 17
選考中 2
書類お祈り 4
1次試験・面接お祈り 10
最終選考お祈り 1



■追伸

多分、普通じゃない人間が普通の人になる努力すらしなかったか、普通の人を演じきれなかった結果こうなっているのだろう。
中高大のモラトリアム期間を通して私は何の根拠もなく「何にでもなれる」、少し周囲より“いい大学“に入れたからという理由で「周囲より優れている(周囲を見下す)」という、ある種の全能感と優越感を持ち、自身を特別視し続け、少なくとも就活が始まるまでは紛いなりにもその価値観を壊さずにこれた。
しかし、就活においては通用せず、否定され続け、ようやく「自分は特別ではなかった」と思うに至っているのだが、全てが遅かったようにも感じる。
特別ではない、むしろ「凡人(馬鹿)である」と悟った(かつての)友人・知人たちは職に就き、そして所帯を持つ者も現れ、自身を「何者か」と感じ得た人間がいる一方で、普通の人間・就活生を演じきれず、自分が「何者か」すら分からない、もう普通の人にも「何者」にもなれないのではないか。
普通の人になるための洗礼を受けているだけなのかもしれないが…

これを考えると面接で落ちてる理由が人格が最悪だから、というのは至極当然のようにも感じる。
タグ:就活
posted by ふおん at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記