2024年03月29日

2024年度の資格取得と学習の計画のメモ書き。

1月31日付の「資格取得と学習の計画のメモ書き。」にて、2024年の資格取得計画を出していたが、2月が経ち当時とは状況が一変したので修正したものをあげる。


状況の変化
去る3月20日に父が永眠し、今年一年(特に直近の3ヶ月は)その後処理(法要、相続など)に時間がある程度割かれるであろうこと、また数学の学習が進んでいないことから受験計画を見直した。

20240329_受験と学習計画.png


数学の学習が一向に進んでいないことからDS上級の受験はパスする方向に。また、統計2級も8月受験を諦めて応用情報の後に回した。今年度の上期は工事担任者でネットワーク関係、SG(セキュリティマネジメント)でセキュリティ関係を学びつつ、応用情報に挑戦する、という内容に変更した。数学の勉強も上期のうちに高校部分が終わったら良い方かも。
後期は統計2級に挑戦し、その勢いでQC2級に挑みたい。
もし余裕があれば、11月24日にある工事担任者の定期試験で総合通信か第一級デジタル通信を受験してみたい。まぁ、そんな暇があるなら統計2級に注力すべきなんだろうけど。

通信系は工担(2級デジ)→工担(総合通信or1級デジ)→電気通信主任技術士→ネットワークスペシャリスト→第一級陸上無線技術士みたいなルートで取れていけたらなぁ。

大きな試験としては応用情報と統計2級、QC2級、(工事担任者(総合通信or1級デジ))か。うち2勝出来たら成功かな。
タグ:資格・検定
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2024年03月20日

ふおんの資格受験記その5 「QC検定3級」

3月17日、受験地である神戸市外国語大学にてQC検定3級を受験し、19日に発表された基準回答をもとに自己採点したところ手法、実践、全体でそれぞれ8割の得点と判明し、合格基準となる点数に達した。正式な合格発表は5月の見通し。



受験のきっかけ
製造業に従事していること、またちょうど小集団活動をしているのでいい機会だと思い受験した。
会社からの要請とかではない。


学習に使用した本
今里健一郎『QC検定3級合格テキスト&問題集』秀和システム

これを一周したのみ。

ほとんど会社の昼休みに20、30分ほど勉強するのを20回ぐらいやり、試験一週前に巻末(最終章)の模擬試験を受験、苦手な個所を試験前30分復習するぐらいで、勉強時間としては15時間前後か。
ただし、製造業で働いており基本的な用語を理解している、小集団活動(QCサークル活動)をやっている、また統計3級を事前に取得しているなど、QC検定以外での学習時間がかなりあった。


受験の感想
正直計算問題は統計の基礎知識(標準偏差σの意味)があれば、計算しなくてもある程度絞り込める(実際に、今回の試験は計算しなかった)し、文章問題にしても前後の文から推測可能なものが多いので簡単だった。ただし、こっちでもいいじゃんみたいな重箱の隅をつつくような問題もある。(ISO等で定義されている語句であるから、という理由はわかるが)
センター試験のように数値をマークシートから選ぶようなものではないので、かなり楽。でも、それだと計算を覚えないし意味をなさないので、しっかり勉強しましょう。

統計検定3級を持っているならただ貰いみたいな試験と感じた。多分、2級も統計2級を持っていれば楽勝なのかもしれない。



■追伸

2級を受けるのは統計2級を取得した後、来年の3月以降になるだろうか。
まずは統計2級の取得に挑みたい。
タグ:資格・検定
posted by ふおん at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 学習記

2024年03月17日

人間になりたい。

3月に入ってから悪性リンパ腫の闘病生活を送っている父の容態が悪化した。
1月下旬の時点では電話で話せていた。3月の頭に母から父の容態が著しく悪化しているとの電話があり、病院に向かったが病院の規定により県外者は面会できなかった。動画でメッセージを送って、その返事を動画で見た。まともに話せてはいなかったが返事は出来ていた。

検査中ではあるが骨髄にまで腫瘍が拡がっているかもしれない、と言われた。

1週間が経ち、検査の結果が母から伝えられた。骨髄には拡がっていなかったものの、肝臓と腎臓の数値が著しく悪いとのことで、足がむくんでいるとのこと。医者も手の施しようがないとのことで、いつどうなるのかわからず、いままで禁止されていた県外在住のキーパーソン以外の家族にも面会の許可が下りた。月曜日に面会予定である。医者から余命等の宣告があったのか、それは聞いていないが、許可が出たということはそういうことなのだろうと思う。

今のところ会話は十分に出来ていないとのことだが、呼びかけには応じているらしい。姉の子(父からは孫)と会いたいとも言っていたそうだ。



最初、もう長くないかもしれないと母から伝えられた時、葬儀や家のことが面倒であるとか、お金のことが心配とか、父の生死よりも自分のことが真っ先に浮かんでしまい、どこまでも自分本位的な立場で物事を捉えていること、そのことが辛かった。
面会の時が近づくにつれて、父が夢枕に立つことが増えた。夢から目覚めるたびに別れの瞬間がきたのではないかと考えてしまう。
また、面会に行くこと自体も別れのあいさつをしに行くようで辛い。そして何よりも、病院に会いに行けば生きているのに、すでに死んだ(死ぬ)ものとして行動しなければならない、という現実が一番に辛い。万が一を考えなければならないことは重々承知しているのだが、死ぬ前提で話を進めていくのが苦しい。

生母が亡くなってから今の母と再婚するまで一人で育ててくれて、また留年したときも何も言わずに支えてくれた父であったが、その父に私は何も返せそうにない。
月曜日、面会の時に、父に何を言えばいいのだろうか。そればかり頭の中で回り続ける。

病状について詳しいことは何も言わなかった父に対して、なにもないと安堵していた、いやむしろこれから確実に起こり得る未来を受け入れたくがないがために存在ごと消していたのだと思う。

父が直面していた自体に何もせず、自身があっても家に帰らず、私は一体全体何者なのだろう。
就活時にも思っていたことではあるが、やはり私はヒトの外形をした別のなにかなのではないだろうか。



人間になりたい。
はやく、人間になりたい。
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