2019年03月01日

3年遅れの就活解禁。天生我材必有用?

3月1日。就活が解禁した。
13年入学であり、本来であれば16年就活17年入社の年代であるのだが、大学を行ったり行かなかったりを繰り返した結果、3年遅れての就活となった。同級生が次々と働いているのを見ていると、若干の焦りもある反面、社会に出ていなくて良かったという思いも混ざる。

高校進学は安全策を取ったから。大学進学も苦手な教科が得意教科でカバーできる、といった具合に、両方共消極的な理由だったが、(周囲と比べてかもしれないが)特段準備をしていなくてもなんとかなってきた。高校受験は、1週間前にようやく過去問を問いた挑んでいるし、大学受験も模試で平均取れているからセンターも平均に届くだろうと半分たかをくくって、センター当日にチョコレートを食べながら、先生にもらったセンターに出る英語だけを復習していた、という有様であった。

しかし、「なにもしなくても」とは言うものの、日常の中学、高校生活の中で無意識の中でやっていたことが、結果として試験に反映されたのかもしれない。覚えていた授業の何気ない1シーンが、私を助けていたのかもしれない。あるいは、日々の選択の積み重ねが、重大なイベントにおいての選択を成功させていたのかもしれない。

これまでなんとかなっていた人生の岐路ではあるが、就活はこれまでとは違う。「3年」という死荷重を背負っているし、何よりこれまでのペーパーテストでは見られてこなかった「人間性」が試される。性格であり、能力であり、精神である。私という一個人が何かしらの数値によって定量化されて、あたかもショールームに並べられたレディ・メイドのように、比較される。その比較の対象に足り得る人間性は持ち合わせているのだろうか。

大学6年、あるいはもうすぐ25年になる人生を通して、自分は何者か、どんな人間なのか、というものを紛いなりも考えて、それは天の邪鬼な性分であり、考えること、解釈することに関しては人並み以上かもしれないが、他者を信用しないという、社会人にとって必要不可欠と考えられる協調性であったり、思いやりが不足しており、とてもではないがその対象となると思っていない。そして何より人を明るくさせるような性格ではなく、無機質な応答ばかりでつまらない。

しかし、インターンを経験している内に、自己の評価と他人からの評価が違う部分もある、ということに気がついた。自分の中では「面白い」ということは微塵も思っていないものの項目の1つであるのだが、「面白い」と言ってくれた人間がいた。何がそうさせたのかは記憶している限りわからないのであるが、自分が思う面白さと他人の思う面白さは違い、思いの外自分の中にも他者を面白いと思わせる部分があるのではないか。
また、面接では「考え」が見られるとの採用担当氏からの話があり、「考え」ることは出来るのだから、あとは伝えることができれば良いのではないか。

就活は人間性の他にも、その人のもつ文化資本を総動員して行われる。書類選考や説明会の予約が良い例なのかもしれない。文化資本については少しばかりアドバンテージがある。就活を行う場所もわりと好景気であり、今考えている就活先もわりと有力な競合相手がいない。筆記も割と点数が取れる。
「3年」という死荷重はそうそう解消できそうにないが、少しは軽くなっているかもしれない。

天生我材必有用

今は天の邪鬼な性分を認めてくれる会社がいることを信じて、就活を楽しみたい。



■追伸
静岡の企業に行く際は五味八珍やさわやかを、加古川に行くときはかつめしを、福井はソースカツ丼を食べに行く心意気で挑む。
タグ:大学 就活
posted by ふおん at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185640183

この記事へのトラックバック