2023年07月10日

『青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を見ない』の雑多な感想。他「おでかけシスター3,4回目、おでシスの麻衣さん」。

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手短に書くと、いろいろ考えさせられることがあって良かった。面白かった。

取り留めのない雑多な感想
これまでの登場人物が一同に集まったかのように話の中に出てきて、何か青ブタの走馬灯のようなお話に感じた。
あとがきを受けて、遠くない未来にこの物語が終わることに対して、寂しさを覚えると共に、物語の完結を見届けられることに対して嬉しさもあり、半々の気分。

完結を前にして、こんなことを書くのもどうかと思うが、終了後10年ぐらいはこの作品の存在は認識されていると思う。20、30年経ってもまぁ認識されているとは思う。
しかし、その存在を認識している人が全くいなくなるぐらいに遠い未来(例えば100年後)になった場合、誰がその存在を証明できるのだろうか。その時点において記録が存在したとしても、AIによるフェイクが自由に作り出せる世の中、より精巧なものが作り出せるようなはるか未来――自分が体験しなかったものは存在しないものと同義になるかもしれない未来――において、過去にこういった作品が存在していたという記録はおろか、作品自体についてももしかすると実在性に疑問が生じてくるのかもしれない。

確かに存在の証明が認識されることを前提としたならば、存在は何時か消える。記憶は上書きされるし、記録もどこかで途絶える。そもそも人の認識というものはあやふやでエラーだらけの不正確なものだ。
しかし、存在に影響を受けた者たちはその影響によって思考を変え、また同時に行動を変えることによって影響を受けた人間が周囲に影響を及ぼすことができる。存在そのものではないが、存在の一部分が断片的に受け継がれて行く。
「ありがとう」、「頑張ったね」、「大好き」の三大好きな言葉が、その体験は各人に認識されていなくても継承されているように。

青ブタに限ったことではないが、作品の完結は作品自体の将来・未来に向かうベクトルを失わせるものかもしれない。だけれども、物語に触れることを通して、長く引きずっていたを思春期の悩みに折り合いをつけるなど、作品に影響を受けた私を含めた各人が、青ブタという物語の断片(作中の登場人物のスピリット・精神など)を周囲への影響という形で必ず未来へと伝え届け、その存在を証明し続けるものと信じている。



おでかけシスター3,4回目
3週目の入場特典が、づっきー、双葉、のどかの色紙であったので、づっきー狙いで姫路まで鑑賞しに行く。

まさかのダブり……orz


おでシスの麻衣さん

今書くのもなんだけど、おでかけシスターの麻衣さんびっくりするほど美人。
記憶している限りで下記5シーンの麻衣さんが深く印象に残っている。

1.踏切前で「私の方が咲太のこと好きだもんねー」と咲太に言い返す麻衣さん
2.江ノ電の車内で咲太にジト目を送る麻衣さん
3.花輪涼子(マネージャー)さんに下校のことを咎められるも、聞き分けの良い返事を返す麻衣さん
4.少しダボ付いたニット(?)の上にエプロン姿の麻衣さん
5.花楓に勉強を教えてほしいとせがまれ、助け舟を求めてきた咲太に満面の笑みを返す麻衣さん(含むのどか)
ほか。

特に踏切待ちの時間から江ノ電車内の時間は、「ゆめみる少女」の出来事の後だと思うと二人で過ごす時間、二人だけの空間というものが、とても愛おしく思えてくる。ものすごく心が暖かくなる。

早く円盤を売ってくれないだろうか。



あるときー

三宮センター街のメロブで最新刊を購入した後、駅の551で購入。久しぶりに食べた。
タグ:映画 青ブタ
posted by ふおん at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想・随筆
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