3月に入ってから悪性リンパ腫の闘病生活を送っている父の容態が悪化した。
1月下旬の時点では電話で話せていた。3月の頭に母から父の容態が著しく悪化しているとの電話があり、病院に向かったが病院の規定により県外者は面会できなかった。動画でメッセージを送って、その返事を動画で見た。まともに話せてはいなかったが返事は出来ていた。
検査中ではあるが骨髄にまで腫瘍が拡がっているかもしれない、と言われた。
1週間が経ち、検査の結果が母から伝えられた。骨髄には拡がっていなかったものの、肝臓と腎臓の数値が著しく悪いとのことで、足がむくんでいるとのこと。医者も手の施しようがないとのことで、いつどうなるのかわからず、いままで禁止されていた県外在住のキーパーソン以外の家族にも面会の許可が下りた。月曜日に面会予定である。医者から余命等の宣告があったのか、それは聞いていないが、許可が出たということはそういうことなのだろうと思う。
今のところ会話は十分に出来ていないとのことだが、呼びかけには応じているらしい。姉の子(父からは孫)と会いたいとも言っていたそうだ。
最初、もう長くないかもしれないと母から伝えられた時、葬儀や家のことが面倒であるとか、お金のことが心配とか、父の生死よりも自分のことが真っ先に浮かんでしまい、どこまでも自分本位的な立場で物事を捉えていること、そのことが辛かった。
面会の時が近づくにつれて、父が夢枕に立つことが増えた。夢から目覚めるたびに別れの瞬間がきたのではないかと考えてしまう。
また、面会に行くこと自体も別れのあいさつをしに行くようで辛い。そして何よりも、病院に会いに行けば生きているのに、すでに死んだ(死ぬ)ものとして行動しなければならない、という現実が一番に辛い。万が一を考えなければならないことは重々承知しているのだが、死ぬ前提で話を進めていくのが苦しい。
生母が亡くなってから今の母と再婚するまで一人で育ててくれて、また留年したときも何も言わずに支えてくれた父であったが、その父に私は何も返せそうにない。
月曜日、面会の時に、父に何を言えばいいのだろうか。そればかり頭の中で回り続ける。
病状について詳しいことは何も言わなかった父に対して、なにもないと安堵していた、いやむしろこれから確実に起こり得る未来を受け入れたくがないがために存在ごと消していたのだと思う。
父が直面していた自体に何もせず、自身があっても家に帰らず、私は一体全体何者なのだろう。
就活時にも思っていたことではあるが、やはり私はヒトの外形をした別のなにかなのではないだろうか。
人間になりたい。
はやく、人間になりたい。
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